2017年9月23日土曜日

政宗はカトリック王になりたかった? 書評『暴かれた伊達政宗「幕府転覆計画」』前編

仙台の郷土史のなかでも、支倉常長や慶長遣欧使節団についてはあまり手を付けてこなかった。「支倉常長」や「慶長遣欧使節」、あるいは東北のキリシタン史もそれぞれそのテーマだけで数冊の本がでている大きなトピックなので、下手に首をつっこめなかったのが正直なところ。

あまり知識もないのだけど、今回手軽に読める新書が発売されたので手に取ってみた。



副題の「ヴァティカン機密文書館史料による結論」にもあるように、著者はヴァチカン機密文書館(ASV)まで赴いて、ローマ教皇庁側の史料から遣欧使節のテーマに取り込んでいるところに本書、および著者の特徴がある。

ASVといえば、『ダ・ヴィンチ・コード』にも出てきたあの史料室である。ヴァチカンといえば、ローマカトリック教会の総本山であることは言うまでもなく、各国に派遣される宣教師からの報告が集まる情報センターでもあり、今で言ったらラングレーのCIA本部並みに古今東西のコンフィデンシャルな情報が埋もれているかもしれない場所だ。

ローマ教皇 パウルス5世
在位:1605-1621。高校世界史
レベルでは名前の登場する人物で
はないが、ヴァチカン機密文書館
(ASV)を創設した教皇でもある。
政宗の新書を携えた支倉常長一行
を謁見。
...というとまた陰謀くさく聞こえてしまうので、この本の書評としては細心の注意を払う必要がありそうだ(理由は後述)。

■ ヴァチカン側の史料からみる使節団の目的

さて本書ではヴァチカンの史料だけではなく、メキシコやスペインの史料も紹介されているのだが、一番面白いなと思ったものを紹介しよう。

1615年(元和元年)11月3日、支倉常長はローマ教皇・パウルス5世に伊達政宗の親書(和文とラテン語訳、ともに現存)を手渡した。筆者の要約によれば、この親書に認められる政宗のローマ教皇庁への請願は6点である。

ところが、ヴァチカン側は、政宗の請願6点以外についても回答行っているという記録(小勅書、および異端審問会議の回答文書下書き)があるというのだ。

通常、請願が6点なのであれば回答も6点になるはずだが、7点目・8点目の回答があるという。そのヴァチカンの回答内容というのが

 回答7点目
(教皇聖下による)日本の王(政宗)に対する剣(stocco)と帽子(capello)の叙任について:王(政宗)はキリスト教徒ではないので、少しの協議(検討)もできない。しかし、キリスト教徒の王(カトリック王)になれば、通常、キリスト教徒の王に与えられるあらゆる満足がすぐに与えられるでしょう。また、聖ピエトロ(ローマ教皇)の保護を受けられるでしょう。(p112)
および
回答8点目
司教の任命(権)および騎士団の創設について、(政宗が)キリスト教徒になった時、また教会を寄贈したならば、彼の功績を考慮して、これについて協議される(p115)

というもの。まず筆者は、6点の請願に対して8点の回答がされているということは、政宗があえて親書に明文化して記入せず、使者(支倉常長)から口上させた請願があるはずで、7・8点目の回答はそれに対するものだと推測している。

そしてそれぞれの請願・回答の内容だが、7点目は政宗の「カトリック王に叙任してほしい」という請願と「クリスチャンではない日本の王をカトリック王に叙任はできない」という回答。8点目は「キリスト教徒の騎士団を創設したい」という政宗の請願と、同様の理由からの拒絶回答だ。

8点目は字面通りだが、7点目が解説が必要だと思われる点で、筆者によれば「剣(stocco)と帽子(capello)の叙任」とは「カトリック王への叙任」の比喩で、いままで日本でこのヴァチカン史料を紹介した媒体(『大日本史料』『仙台市史』)は、すべて訳者がこの比喩に気付けずに直訳したものにとどまっているとのことである。

請願と回答の件数が一致していないのは不自然であり、親書に記されなかった口上による請願があったはずだ、という筆者の推論には説得力があり、本書ではこの箇所が一番興味深いと思った。

親書に書かれていないので日本側の史料だけでは読み解けないが、ヴァチカン側の史料からは使節団の隠された目的が読み取れる。それは、カトリック王への叙任とクリスチャン騎士団の創設である、という論だ。

■ 肝心のカトリック王とは?

しかし、読んでみてよくわからなかったのが本書で使われている「カトリック王」という概念である。

スペイン王 フェリペ3世
在位:1598-1621。祖父はカール5世。
フェリペ2世で、ともに高校世界
人物だが、この人自身はあまり有名とは
言えない。支倉常長とも面会している。
「カトリック王」という呼称はおそらく「神聖ローマ皇帝」とは区別された用語のはずだが、当時(1615年)の世界で思いつくカトリックの国王といえばスペイン王・フェリペ3世とフランス王・ルイ13世くらいだろうか(イタリア諸国を除く)

他のヨーロッパ地域は宗教改革によって生まれたプロテスタント諸派が多く、まともなカトリック王国としての体をなしていない。いや、フランスも当時はまだナントの勅令が生きており、国内にはユグノー(新教勢力)が多かった。フランスがユグノー弾圧を再開し、カトリック大国として復活するのは太陽王・ルイ14世の時代からである。

では政宗が叙任を臨んだ「カトリック王」とは、当時(世界の覇権は大英帝国に推移しつつあるとはいえ)唯一ともいえるカトリック大国スペイン王・フェリペ3世のような「大国の王」としての実態を伴うものであったのだろうか? それとも、国の実態はどうであれ単に「信仰がカトリックである国王」という単なる称号なのだろうか?

前者であれば、極東の島国のいち藩主(ローマからみればせいぜい州総督レベルだろう)がいきなり目指す実態として飛躍がありすぎるし、後者であれば名ばかりの称号にどれだけの価値があるのかわからない。実態はともあれ、「カトリック王」の称号さえあれば日本国内のキリシタンは政宗に従うという考えだったのだろうか?

いずれにせよ、当時のキリスト教世界における「カトリック王」なる概念、あるいは筆者がその概念をどう理解しているのかがいまいち読み取りきれなかった。したがって、政宗が「カトリック王」に叙任されたとして、何をしたいのかがよくわからない(後述するように、筆者はカトリック王への叙任願望を倒幕計画に結び付けるのではあるけれども...)。

■ 政宗はキリシタン大名ではない

以前歴史好きの友人が「政宗をキリシタン大名あつかいする人がいるみたいだけど、そんなことないよなうーむ」と自問自答していたことがあった。自分は、少なくとも学術的にはそういう論を聞いたことがないし、両親がクリスチャンであるという体験から「洗礼受けてればクリスチャン、そうじゃないなら(宗派にもよるけど)少なくともクリスチャンコミュニティでは教徒として認知されない」としたうえで

と回答したことがあった。要は政宗の洗礼名を示唆する署名がみつかればクリスチャンだったと考えてもいいかもしれないという論だ。

今回、上記請願が「王(政宗)はキリスト教徒ではないので」拒絶されているので、やはり政宗はキリシタン大名ではない、という結論で間違いない。というより、自分もこの本で初めて知ったのだが、政宗はローマ教皇宛親書で、自ら「自分はクリスチャンではない」という信仰告白? をしているというのだ。

於吾国、さんふらんしすこの御もんは(※サンフランシスコ会の門派)の伴天連ふらいるいすそてろ(※フライ・ルイス・ソテロ)、たつときてうす(※貴きゼウス)之御法をひろめニ御越之時、我等所御見舞被成候、其口より、きりしたん之様子、何れもてうすの御法之事を承わけ申候、其付しあん(※思案)仕候程、しゆせう(※殊勝)なる御事、まことの御定め之みちを奉存候、それにしたかつて(※従って)、きりしたん成度乍存、今之うちハ難去さしあわせ申子細御座候而、未無其儀候、...
「ローマ教皇パウロ五世宛書状」(文書番号1481,『仙台市史 資料編11 伊達政宗文書2』,p310より)

とある。簡単に訳すると、「日本に布教しにきたソテロからクリスチャンや神のことについていろいろ聞きました。その道に入って自分もクリスチャンになりたいのだが、今はそれが難しくまだ洗礼をうけることができていません」という内容。政宗による親書なので間違いない。

いや、本当はキリシタンだが、徳川にバレたらやばいのでこういう書き方をしたんだ。すくなくとも「きりしたんニ成度なりたく」と言ってるじゃないか! ワナビーだ!

...という反論があるかもしれないが、どんな事情があるにせよカトリックの最高権威であるローマ法王の前で信仰告白できるチャンスを目の前にしてそれをしないクリスチャンは、少なくともカトリック信者とは呼べない。その程度の信仰ということだ。

カトリックではないならプロテスタントの可能性はどうかと言えば、ローマ教会の権威を経由せずに神と直接つながろうとするのがプロテスタント諸派なので、わざわざ地球の裏側のローマ教皇庁に使節を送る必要はなく、仙台城や江戸屋敷で聖書を読みキリストを拝めばいいだけの話。加えて、ソテロら旧教(カトリック)国の人間とつるまずに徳川と懇意にしていたヤン・ヨーステンら新教(プロテスタント)国の人脈から教えを請えばいいだけの話だ。

というわけで、本書の主題である遣欧使節団の目的からは脇道にそれたが、政宗自身が自分はクリスチャンではないと宣言している文書があるということも、自分にとっては本書の収穫だった。

黄金の十字架を背負い、葛西大崎一揆扇動疑惑の釈明をしに上洛する政宗。
十字架はあくまでパフォーマンスであり、クリスチャンであるわけではない。

さて、この書評記事前編では本書で興味深いと思ったところから紹介した。文春新書なので、これからおそらく長い期間全国の書店の新書棚に並ぶであろうし、値段もページ数も手ごろなので、他の郷土史本と比べてアクセスが非常にしやすい。が、それだけに本書を読むにあたってはいろいろ注意がいりそうで、中編ではそのあたりにも触れてみたい。

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