2017年10月8日日曜日

血統書診断 -伊達政宗の場合-

当たり前のことだが、人間は父親と母親から生まれる。仮に父親を田中家、母親を山田家の人間だとすると、子供には田中・山田両家、2つの家系の血が混じっていることになる。

もうひと世代、祖父・祖母の代までさかのぼれば4家、曾祖父・曾祖母の代になれば8つの家の血が流れている計算になり、代をさかのぼるごとにその数は倍になっていく。

一言で田中家の人間、といっても、その体には多くの家の血が流れており、「田中」というのは父系の苗字を便宜的に名乗っているにすぎないのだ。

■ 伊達政宗の血統

歴史上の人物についてもそれは同じで、伊達政宗も、伊達家の正統な嫡男というイメージが強いが、その体にはいろんな家の血が流れている。というわけで、政宗にはどんな家の血が流れているのか、ちょっと確認してみる。

下の図は一見トーナメント表のようだが、政宗本人の両親、両親の両親…といった具合に血筋をたどった家系図になっている。縦方向に枝分かれしていくおなじみの家系図とはちょっと印象が違うが、ヨーロッパ史ではたまに使うことのある家系図のスタイルで、同世代の横のつながり、つまり兄弟や叔父・叔母の関係を完全にそぎ落としているかわりに、誰の血を継いでいるのかがダイレクトにわかるつくりになっている。

いわば、伊達政宗の血統書である。


とりあえず、政宗から5世代前の先祖までをたどってみた。5世代前となると32の血脈にいきつくことになる。

こうしてみると、意外と政宗の先祖については明確に人物を特定することが難しいことがわかる。この時代はどうしても母系、つまり女性の名前が残りにくいことと、父系の伊達家と比べて、母系の最上・中野家の情報が不足しているのが大きい。

ほとんどが「不明」で埋まってしまったので、もう少し整理してみると


こうなった。32の血脈のうち、判明したのは9つ、約1/3しかわからなかったことになる。

■ 対立した大名家の血をことごとく継いでいる

自分の出自である伊達家はさておき、政宗には大崎氏、上杉氏、蘆名氏、宇都宮氏、岩城氏、最上氏の血が流れていることがわかる。これらの大名は、実はことごとく政宗と(が)敵対した大名であることに気付く。

  • 大崎家:大崎合戦にて対峙し、後に従属させる
  • 上杉氏:関ケ原の戦いに連動した慶長出羽合戦で対決
  • 蘆名氏:摺上原の戦いで滅亡においやる
  • 岩城氏:田村領をめぐる戦いで敵対
  • 最上氏:叔父である最上義光との関係が芳しくなく、大崎合戦で敵対した。

残る宇都宮氏とは直接対戦したことはなかったが、これはその前に秀吉による奥州仕置を迎えてしまったから、と考えると、対立は時間の問題だったようにも思える。蘆名氏を滅亡させたあとの政宗は、北関東へのさらなる南下と、その障害となる佐竹氏との対決を予定していた。宇都宮氏はその佐竹氏と盟友関係にあったから、もし政宗の南下戦争が続いていたら、そのうち敵対関係に陥っていたことが想像される。

ただし、この時代の大名、特に東北の大名の間には血縁ネットワークが張り巡らされているのが常であり、特に政宗において顕著な現象ではないかもしれない。親戚どころか、親兄弟との争いですら珍しいことではなかったのが戦国大名である。

■ 大崎氏・上杉氏の血を2重に継いでいる

政宗の血脈をたどると、大崎教兼の血を2重にひいていることがわかる。もっとも、大崎氏は伊達氏のおとなりさん大名であるし、大崎教兼の時代、大崎氏は奥州探題の職についており、家格は伊達氏よりも上だった。そう考えると、大崎氏との結びつきが大切だったことがわかる。

また、上杉氏の血も2重でひいている。伊達・蘆名ともに隣接する越後の上杉氏との関係を重視したことの表れであろう。

ちなみにこの上杉氏は、上杉謙信とは別系統の上杉氏である。

■ つまりは斯波氏の血が濃いということに

大崎氏の血脈が2重になっているのは母方の最上氏にも大崎氏の血が流れているからであるが、最上氏ももとをたどれば大崎氏にいきつく。

そして、最上氏も大崎氏ももともとは斯波家兼という人間が祖である。右の円グラフは、政宗の血統を家ごとにパーセンテージ化したものであるが、2重に血を引いている大崎氏・上杉氏が共に6.3%ずつ、その他の大名が3.1%ずつ、不明が71.9%となっている。というわけで、大崎氏と最上を併せて斯波氏というくくりを設けるならば、斯波氏の血統が最も強いことになる(もっとも、「不明」の割合が大きすぎるのでなんともいえないところではある)。

ちなみに、それぞれの家系をさかのぼると

伊達藤原氏宇都宮藤原氏
大崎源氏岩城平氏
上杉藤原氏最上源氏
蘆名平氏
となる。

■ まぁ、こんな分析よりも…

と、ここまでいろいろやってみて、あんまこの分析意味ないんじゃねーか? と思えてきた。というのも、政宗の性格・行動を見ている限り、どう考えても母親である義姫の血が濃いのでは? と思うことが多いからだ。

画像は「信長の野望・創造」より
なんとも血の気の多い顔をした母と子である。
それなりに似ている。画家も意識したのだろうか。
義姫は、女性でありながら
  • 父・最上義守と兄・最上義光の争い
  • 兄・最上義光と夫・伊達輝宗の争い
  • 兄・最上義光と子・伊達政宗の争い
を仲裁、というよりも無理やり止めさせたという武勇伝をもつ。対峙する両軍の陣中を駕籠でつっきっただの、間に輿でのりこんで停戦させただの、あるいは政宗毒殺未遂事件をおこしたりなど、その男勝りのエピソードには枚挙に暇がない。

政宗について一言で説明しろ、と言われた場合「東北の覇者」だとか「10年生まれてくるのが遅かった戦国大名」だとか、いろいろ言い方はあるだろうが、自分だったら一言こう言う。

「あの義姫の息子だよ」

と。実際、政宗が女だったら上記のようなエピソードを残していたであろうし、逆に義姫が男に生まれていたら、関ケ原の戦いが終わって徳川の時代になっても天下をあきらめなかっただろうし、占領した城で撫で斬り(皆殺し)みたいなことをやっていたと思う。

親子で対立することもあったみたいだが、どうも同族嫌悪だったのではないだろうかという気がしてならない。


今回、政宗の血統をたどってみてはじめて気づいたこともあったのだが、結局は母親である義姫の血が濃いんだろうなぁ、という結論になってしまった。

ちなみに、政宗の血液型はB型だったそうだ。これは、政宗の墓所である瑞宝殿を発掘調査した際、遺骸の毛髪から鑑定された結果である。

2017年9月26日火曜日

ロマンを追うか? 史実を追うか? 書評『暴かれた伊達政宗「幕府転覆計画」』後編

大泉光一著『暴かれた伊達政宗「幕府転覆計画」 ヴァティカン機密文書館史料による結論』の書評の後編。



前編ではヴァチカン機密文書館(ASV)に残された史料について、中編ではその史料をどう解釈するべきかについて触れた。本稿後編ではそもそも論として、仮に政宗が倒幕計画を立てていたとして、それを立証することは可能なのだろうか? というところから話をはじめたい。

■ 倒幕計画を立証するには?

NHK大河『独眼竜政宗』より
戦国最後の大戦・大阪の陣における政宗と松平忠輝。
このときも、隙あらば家康の首を狙っていた?

これは著者も本書で認めていることではあるが、少なくとも日本側で政宗の倒幕計画を立証する文書は見つかっていない。そこから

  1. それは政宗が証拠隠滅を図ったからだ。証拠はないが倒幕計画はあった
  2. 証拠がない以上、それ以上のことは言えない

という2派に別れるのである。1の立場は、天下取りの野望を秘めた政宗の世間一般のイメージからすれば倒幕計画はあってもおかしくないという、ある意味ロマン派な意見で、2の立場は証拠がない以上何も言えないというドラスティックな現実主義的意見だ。

その意味で、倒幕計画を立証したいのであれば国内の史料でそれが叶わない以上、海外の史料をあたるしかないという著者・大泉氏のアプローチは正しい。ただ中編で述べたように、政宗があえて親書に残さなかった請願がヴァチカンの史料から読み解ける=倒幕を考えていた、は論理が飛躍しすぎているし、証拠としても弱い。

本書では、ヴァチカンのローマ教皇庁以外にもイエズス会、フランシスコ会、インディアス顧問会議、スペイン通商院など様々な団体が遣欧使節団についての報告書を書いている様子が紹介されている。そういった文書の中にたとえば

日本の奥州王たる伊達政宗の真の目的は、けっして信仰上のものではありません。ローマ法王庁の権威を借りてジパング国内のクリスチャンを味方につけ、クーデターを起こすことです。彼は真のキリスト信者ではありません。謁見の際は注意されたし」(イエズス会のローマ法王庁宛報告書(架空))
松平陸奥守は野心的で、我らスペイン王国の尖兵となりえます。日本の政府にはウィリアム・アダムスなるイングランド人の外交顧問がおり、将軍の信頼を勝ち取っています。英国の影響力を排し、我らスペイン人が割って入るのが難しい今となっては、奥州王の政府転覆計画に協力するのも選択肢かもしれません」(メキシコ副王政庁のスペイン本国宛報告書(架空))

といったような文言が見つかれば、多少は倒幕計画の裏付けになるかもしれない。ただ、それでもその文書の信憑性に対する批判・検証は必要ではあるのだが。

■ 黒脛巾組と悪魔の証明

慶長遣欧使節からは脱線するが、政宗をめぐる似たような議論に、黒脛巾組くろはばきぐみというトピックがある。政宗お抱えの忍者集団なのだが、1次史料に登場せず、はじめて名前が出るのは江戸中期に書かれた『伊達秘鑑』と成立時期不明の『老人伝聞記』であり(どちらも『仙台叢書』所収)、その実在性が疑われている。

かつて伊達武将隊には黒脛巾組の忍&くのいちがいた。黒脛巾組は仙台市公認?
学説的な実在性はともかく、観光資源として人気のある伊達武将隊には
外国人ウケの良い忍者キャラは復活させた方がいいと思う。にんにん!

黒巾組の存在を主張する人々は、「そもそも裏方・汚れ仕事・秘密工作を担当する忍が、史料なんて残すはずがない。史料はなくて当然なのだ(でも彼らは存在した)」という根拠の弱い主張にならざるをえない。

一方、黒巾木組の存在を疑う立場からは「1次史料に登場しない以上、実在性は疑わしい、江戸時代の創作だ」としつつ存在しないことを証明しきれない、いわゆる「悪魔の証明」に陥ってしまう。

黒脛巾組は「信長の野望・創造」にも登場。
新作「大志」が11.30に発売予定。はよ出ろ。
一般に、何かの存在を証明するには「存在した」という証拠を一点示すだけでよいが、「存在しないこと」を証明するためには、世の中の森羅万象を調べ尽くさなければならず、それは不可能に近い。こういうのを悪魔の証明という。

従って、調べても調べても「今のところ黒巾木組の存在を証明できる1次史料はみつかっていない(いたのかいないのか、実のところよくわからない)」という、奥歯に者が挟まった様な歯切れの悪い結論になってしまうのだ。

そもそも黒脛巾組は主に小説やゲームなどのクリエイターが扱う題材で、学者が手を出すようなトピックではない。上記で「議論」と言ったのはちょっと大げさだったかもしれない。

が、歴史好きの仲間と飲んでいると「政宗ならああいう影の軍団使いそうだよねー」と盛り上がれる話題であることは間違いない。羽黒山と伊達家の関わりだとか、政宗外交の粘り強さとか、黒脛巾組という補助線を用いることで妙に納得? してしまう点は確かにある。

■ 伊達政宗をめぐる永遠の葛藤

伊達政宗は慶長遣欧使節、黒巾木組以外にも


など、疑惑や謎の多い人物で、どのトピックでも史料ベースで議論を進めるべきという歴史学と、野心に溢れた政宗の一般的イメージに立脚したロマン主義の対立が起きている。主に小説やドラマ、ゲームなどの創作物で政宗人気が沸き立ち、歴史学がその世間一般のイメージを訂正しようとする、という永遠のいたちごっこなのだ。

実は今、ブログ筆者もこの2項対立に悩んでいる。

天下取りの野望を抱く、ギラギラとした若き戦国武将。数々の疑惑をもたれながらも、それを潜り抜ける用心深さ。そんな一般的なイメージの政宗が好きだ。慶長遣欧使節だって、ただの通商目的よりも倒幕計画と絡めた方が話としては面白いに決まっている。

一方で、なるべく思い込みのイメージを排した実像に迫りたいという欲求もある。

史料主義の歴史学という手法では、政宗という人物はとらえきることが難しいことは確かで、あるいは心理学や民俗学といったような別の手法でのアプローチがあってもいいのかもしれない。

筆まめで自筆の書状も多く残り、外部から彼を記録した史料も豊富。それでいて、史料ではとらえきれない魅力にも溢れた人物。

伊達政宗の研究は実に難しい。であるが故に、面白い。

2017年9月25日月曜日

倒幕目的説にはどこまで信憑性があるのか? 書評『暴かれた伊達政宗「幕府転覆計画」』中編

大泉光一著『暴かれた伊達政宗「幕府転覆計画」 ヴァティカン機密文書館史料による結論』の書評の中編。



前回の前編ではヴァチカン機密文書館(ASV)に残された史料を読み解けば、政宗がローマ法王パウルス5世に対して「カトリック王への叙任」と「キリスト教騎士団の創設」という隠された2点の請願をしていた可能性が導けることと、政宗自身はクリスチャンではなかったことが判明したことまで紹介した。

■ 倒幕計画の結論ありき?

NHK大河『独眼竜政宗』より
大久保長安・ソテロと密談するシーン。彼の胸中やいかに。 
問題はここからである。

この2点の隠された請願は何を意味するのか? 慶長遣欧使節団の真の目的は何だったのか? 著者・大泉氏によれば
政宗の本当の目的は、ローマ教皇の力でスペインの軍事的協力を得て、徳川幕府に最後の決戦を挑み、徳川秀忠に代わって伊達政宗が将軍職に就き、日本の支配者になることであった。(p8、強調はブログ筆者による)
だそうなのである。ここが難しい。

本書にはなぜ2点の隠れた請願があったという可能性が政宗は実は倒幕を狙っていた、という結論につながるのかが、ほとんど書かれていない。

たとえば「カトリック王の叙任」および「キリスト教騎士団の創設」という請願があったとして、ここから政宗が何をしたかったのかを考えるとしよう。倒幕計画以外に、である。
  • 政宗本人はクリスチャンではないが、国内キリシタンの保護、及び失業対策を考えていた
  • 徳川政権と懇意の新教国(イギリス・オランダ)に対抗意識があり、それら勢力に対抗するカウンターパワーとしての旧教勢力(スペイン・ローマ法王庁)の利用を考えた
  • カトリック王の称号、騎士団創設の実績を看板に、スペイン以外の国とも貿易交渉を行う構想があった。その交渉での有利な材料としたかった
もちろん、それぞれに細かい検証は必要ではあるが、上記の様な推論も成り立つとは思うけれども、いかがだろう。それらを排していきなり倒幕計画につなげてしまうのは、少し無理があるし、説明があまりに足りない。

ちなみに、「キリスト教騎士団」の創設とは、あくまで日本国内のキリシタンを政宗配下の騎士団として組織する、という意味だろう。それと筆者の言う「スペインの軍事的協力」とはまた別の話だ。前者は国内のキリシタンを味方につける方策、後者は外からの援助を得る方策である。


■ 政宗の倒幕計画をそそのかしたのはソテロ?

もうひとつ、この本で説明が足りないと思ったのが、なぜ政宗が倒幕計画を志向するようになったかの動機についてである。まぁこのあたりは、世間一般の野望に溢れた政宗のイメージからすれば今更説明は不要として省略したのかもしれない。

本書で唯一触れられているのが、ソテロが政宗をそそのかしたのではないか? という推論で、徳川政権の倒幕を狙っていたのは、実はソテロだったのではないかという説だ。

徳川幕府のキリシタン、および宣教師たちへの弾圧が強まるにつれ、ソテロも捕縛され、火あぶりの刑を受けることになった。しかし、使節団の案内役として余人をもって代えがたしという政宗の嘆願によりかろうじて救われたことを指摘したうえで、
自らも殉教寸前という経験をしたソテロは、強い衝撃を受け、徳川政権下でキリスト教の布教活動を行うことに、絶望感を抱いたであろう。親しい関係にある政宗を使って徳川政権を倒すしかないと、ソテロが考えたと推測して間違いないと私は考える(p52)
というのが筆者の主張だ。これも、弾圧をうけたこととソテロが倒幕を目指すようになったことがダイレクトに結びつきすぎていて、説明が足りない。

日本国内で弾圧を受けたキリスト教宣教師は、なにもソテロだけではない。弾圧どころか殉教した宣教師もいるなかで、なぜソテロだけが倒幕まで目指すようになったのかの根拠が弱い。

宣教師 ルイス・ソテロ
1574-1624。父親はスペインの参議院議員。
自身もサマランカ大学で法学・医学・神学を
治めたエリートである。そんなスペックをも
ちながらわざわざ極東の島国までやってきた
のだから、志のい人物ではあったのだろう。
そもそも土着の宗教もある日本に乗り込んできて勝手に布教をしながら、それを禁止されたからと言ってその国の政府を倒すところまで発想がいってしまうというのも、迷惑このうえない話ではある。

...と思いながらいろいろ書いてたら、案外過激な宣教師とはそんなものではないかという気もしてきた。

古今東西、あらゆる宗教にとって布教と弾圧はセットである。積極的な布教という意思の弱い日本の神道を例外として、新しい宗教を広めようとすれば既存の勢力との軋轢を生みだし、弾圧されるのが常だ。弾圧は身内意識をかため、より強い教団へと成長していき、やがて国家に容認される、というのが勝ち組宗教のパターンだ。

ところが負け組宗教というか、弾圧の試練を乗り切れなかった教団は、テロ行為に走る傾向がある。

日本にもかつて、オウム真理教なる宗教団体が存在した。彼らは教祖である麻原彰晃が選挙に負けたのをきっかけに、日本政府の転覆を狙って地下鉄サリン事件などのテロ行為をおこしたことがある。

ソテロはビッグマウスというか、誇張の表現が多い人物だという証言が多方面から残されている。そういったソテロのイメージからすれば、弾圧を逆恨みして倒幕まで考えてしまう、思考のブっとんだ人物だと考えるもありえなくはない気がしてきた。

というわけで、ブログ筆者は著者・大泉氏の「ソテロが倒幕を考えていたかもしれない」という説には要検討ではあるものの、可能性は排除しきれない、という感想を持つに至った。

ただし、その実証にはやはり文書ベースの決定的なエヴィデンスが必要ではあるのだが。

■ 著者・大泉氏のバックグラウンド

実はブログ筆者は、この大泉氏の本を読むのは初めてである。どころか、前編冒頭で述べたように、慶長遣欧使節についてはこれまであまり深く首を突っ込まずに来た。今回この本を読んでみて、慶長遣欧使節の目的=倒幕という、学会では否定的な意見を文春新書というメジャーな媒体で、かつ堂々と展開しているので大泉氏のバックグラウンドが気になった。

Wikipediaで調べられるレベルだけでも
危機管理、国際テロなどが専門だが、支倉常長について長く研究をしており、田中英道の『支倉常長』を捏造だと批判して、田中と論争になった[2]。「支倉は徳川幕府打倒のために派遣された」という説を唱えているが、歴史学界では荒唐無稽の説とされている。https://ja.wikipedia.org/wiki/大泉光一
という情報が出てくる。さらにTwitter上でつながりのある方の指摘で思い出したのだが、ブログ筆者は以前にも大泉氏の他の本を立ち読み(買わなくてさーせん)したことがあり、そこでは仙台郷土史会の割と有名な学者たちに対する名指しの批判・恨み節が、これでもかというくらいに述べられている章があった。



あるいは、ディベート文化の海外の学歴キャリアを持つ著者の論戦のしかけ方は、日本の研究者には過激に映るのかもしれない。いずれにせよ、大泉氏は慶長遣欧使節や伊達政宗に関する研究のメインストリームに位置する方とはとうてい言いがたく、「倒幕計画」という結論ありき、かつ学会内での人間関係が原因で、ある程度主張に主観が入りすぎている感はどうも否めそうにない。

とはいえ、大泉氏の本を一冊(と1章の立ち読み)だけで批判するブログ筆者の態度もあまり褒められたものとは言えない。大泉氏の他の著作に、この『暴かれた伊達政宗「幕府転覆計画」』だけでは読み取りきれなかった著者の主張や論拠が書かれているかもしれないので、それらについても機会があれば触れてみようと思う。

■研究を阻む言語の壁

思うに、慶長遣欧使節というテーマは実にやっかいである。

前提として当時の日本の情勢はもちろん欧州諸国、中南米諸国、キリスト教諸団体の情勢という複数の知識が求められる(話はそれるが、本書には1591年の九戸の乱を1600年と誤認している箇所(p59、第1刷)があり、大泉氏の東北戦国史についての知識はそれほど専門的ではなさそうではある)。

加えて、原史料を読み解こうと思ったら、簡単に思いつくだけでも日本古語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ラテン語を習得する必要があり、それらは現在の話し言葉とは違う古典言語で、しかも専門的な行政文書である場合がほとんどだ。

これは大泉氏も指摘しているところではあるが
...これ(※ブログ筆者注、上記列挙の複数言語)を原文で読み、理解することのハードルの高さが、研究を困難なものにしてきた。
研究者が原典にあたらず、明治時代、まだ辞書も不完全であった頃に訳された、転写漏れ、誤写や誤訳だらけの史料集(『大日本史料(第十二編之十二)』)を引用、孫引きして研究を進めたため、不可解な定説が生まれたと言っていい
...(p11)
という側面は、確かにあるのだろう。であれば、やはりそれら複数の言語を読み解ける大泉氏のスキルはとても貴重である。

■いでよ、次世代の研究者...

使節団の請願に対する教皇庁の回答文書
ASV所蔵。イタリア古語で書かれたものとのこと
まぁ、こんなの一般人に読めるわけないよね...
そういうせっかくの貴重なスキルを生かして、大泉氏は『支倉六右衛門常長「慶長遣欧使節」研究史料集成』全3巻を刊行されているそうだ。おそらく大変な労力であっただろう。こういった氏の業績は素直に評価されるべきだと思う。

しかし、せっかくの良質な史料にアクセスできる能力を持っておられながら、大泉氏の論には飛躍が多い気はする。

これはとある方の受け売りなのだが、持論を展開するには論拠(エビデンス)と論理(ロジック)が必要である。建築に例えるなら建材と工法が必要なのだ。せっかく腕のいい大工でも、ボロボロの建材を使えば立派な建築はできない。未熟な大工が高級な素材を使っても然りだ。

大泉氏が発掘し、研究に利用している海外の文献は、これまで日本の研究者があまり手を出してこなかった貴重なものも多いはずだ。だが、それらの史料をどう読み解いて使うかというところに、大泉氏が批判される理由がある様に思う。

同じ素材を用いた結果「倒幕計画」以外の結論にいたる学者がいてもいいと思うし、そういう論があるならぜひとも聞いてみたい。Twitter上でつながりのある方もこの本を読んで似たような感想をもたれたそうで、「これら史料使っての他の方の解釈が聞きたい、史料批判含め論じて欲しい」とおっしゃっていた。

需要はある!

海外の文献も駆使しつつ、仙台の郷土史家たちともWin-Winの人間関係を築きながら、論理の展開にも齟齬のない次世代の研究者たちが登場するのを、気長に待ちたい。

【続く】ロマンを追うか? 史実を追うか? 書評『暴かれた伊達政宗「幕府転覆計画」』後編